シロクマのしあわせ練習帖

朝空写真と脳内排出、ときどき夜空

自分が決めたことを守れずに言い訳するくらいなら、言い訳を付加価値に換える屁理屈力を身に付けたらいい。

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相変わらず寒い。昨晩、部屋の遮光カーテンを開けて寝るのを忘れたため、定時に目覚めた後うっかり二度寝をしてしまったようだ。二度寝をしたことすら忘れそうになるほどの、一瞬の目覚めだった。

私は数年前からアラームを使わなくなった。理由は、アラームを待って起床するようになったからだ。アラームをセットするということは、自分で明日の自分へ「何時に起きろ」と命令する行為である。しかし、うっかりそれより前に目覚めようものならば、まだ寝ていられると思ってしまうわけで。どのくらいその「目覚ましを待つ状態」が続いただろう。いつのまにか「まだ寝ていられる」が「まだ寝ていなくちゃ」に変わり、自分で自分にストレスをかけているのではないかと、ようやく気付き始めたのだ。

目覚ましをかけて「自分に起床時間を強要する行為」、せっかく目覚めているのに、自分で決めた「起床時間を守らないという行為」の、自分へのWの拷問である。拷問というほどのストレスを感じているわけではないけれど、自分でも気づかないようなこんな些細な負荷が、実は蓄積されると膨大な重荷となることを、私たち人間は気づかずに生きている。目が覚めて、脳と身体が起きようと思った時に起きてあげるのが、自分にとって一番のやさしさのような気がした。

目が覚めているのに、気持ちは起きたがらないときは脳が疲れているとき。逆もしかり。自分の心身の状態を確かめるためのバロメーターにもなる。だから私は、目覚まし時計も起床用のアラームもやめた。その代わりに、部屋が明るくなったら自然と目が覚めるようにカーテンを開けて寝ることにしたのだ。自分に優しくすることと、自分を甘やかすことが違うということは頭ではわかっていたけれど、身をもって実感したのはこの目覚ましの一件が初めてだった。

起床後にやることとして、数タスク程度は決めてはいるけれど、それも強要はしない。「朝のルーティーン」などが流行っているようだけれども、今のわたしは乗っからない。ルーティンを決めることも、目覚ましをかけることと同じような気がするからだ。朝にやることは、だいたいのタスクとしては決めているだけで、絶対こうしなければいけないという「台本」のようなものは作らない。台本通りにいかないストレスと、台本通りに頑張るというストレスのW拷問が、自分で少しずつ毒を飲むような行為にしか思えないからである。

朝起きたら朝空写真を撮りに行く。それさえやってしまえば、あとは順不同。洗顔、歯磨きなどの身支度、クイックルワイパーなどの簡単な掃除、やかんでお湯を沸かし、コーヒーを淹れる。洗濯物がたまっていたらスイッチを入れる。洗い終わりと同時に干すのが理想なのだが、最悪、昼までに干せたらセーフ。もし、夕方になってしまったら再度回して夜の加湿器代わりに室内干しをする。二度洗いして夜干すことに罪悪感を感じた時期もあったけれど、夜寝るときの加湿器代わりになるという付加価値をつけたことで、不思議と自責することはなくなった。結局気の持ちようなのである。

必要以上に自分で自分に負荷をかけない。それがわたしの生きていくうえでの必要最低限であり、最重要なルール。

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