Watana Bear's Life Makeovers

空の写真 と 脳内排出 ときどき しあわせ練習帖

主体的でいることが「自己肯定感」を保つためのコツなのかもしれない

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会社は有休奨励日。休まず仕事初めの人もいれば、有休をとる人もいる。私は有休を取得した派である。朝から仕事のメールが数件入っていたので、ベッドの中で確認する。

時給で仕事をしていた時は、時間外に業務は一切やるものかという勢いだった。当然、スマホでメールを見ることなんて、考えられなかったので休日はメールのアカウントをログオフにしていたほどだ。あまりに時間外にメールを観ないため、災害時の安否確認に反応せず上司から電話が来たこともある。

ところが、今ではどうだろう。メールを読む“だけ”は業務のうちとは思っていない。むしろ、業務開始の準備(優先順位・タスク作成)、つまり自分の作業効率・時短のための「仕分け」と思っており「業務」と思っていない。

頼まれ仕事や庶務的ルーティンばかりの派遣時代と違い、担当業務がメインとなった今では、極端な言い方をすれば「結果を出せばどんなやり方(最低限のルールは厳守)をしても誰も何も言われない」のである。もちろんサービス残業は禁止である。業務をした分タイムシートはつけなければいけない。ところが、ほとんどの人は「メールを読む」ということを「業務」と思っていないのである。

コロナ禍になり、会社が助成金を申請するようになった。コロナ禍の影響で業務が激減したものは「休業申請」ができる。その人件費を助成金で賄うというものだったのだが、休業申請をした日は一切の業務した痕跡を残してはならないルールであった。そのルールの中に「メール」に対する内容のものがあったのだが、ー メールに対しての「了解」「着信確認」の返信はOK ーなのである。

つまり、メールを読み、何か対応することはNG、了解、後ほど対応します的なメールまでは業務とみなさないのである。これは、助成金申請に対する監査的なルールなわけだから、会社独自の感覚というよりは、公的な感覚なのだということが窺える。

休みの日に、スマホで仕事のメールを読むことに対してストレスを感じるか感じないかは、自分次第である。建設的に「自分の業務時短のため」と思えるのか、「あぁ休みなのに仕事の空気に触れちゃったよ」とうんざりするのかの違いである。

もっと言えば、そのメールに対して後ろ髪を引かれるか否かの問題もある。返信しないでいる自分に罪悪感を感じるかどうかだ。

結局、ストレスを感じる・感じない、ため込む・受け流すは自分次第なのであるということを、半世紀生きてきてようやく体得できたと思えた正月明けアイドリング用の一日だった。

そして、その流れで昔学んでいた心理学系のメールマガジンをうっかり開けてしまい、読みふけり、さらに無料の性格診断のようなものを受け午前中の時間が過ぎてしまった。朝の最低限ルールである「朝写真」が「昼写真」になってしまったことに対しては、罪悪感どころか「思い通りにいかないのが人間だもの」といとおしく思えるのである。

20年前から比べると、ずうずうしいくらいに自己肯定感が上がっていることを知った。

よしよし。

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