Watana Bear's Life Makeovers

空の写真 と 脳内排出 ときどき しあわせ練習帖

制限の中にこそ、発展する要素が生まれる。

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2月に控える簿記検定。そろそろ詰めていかないと教材費も受験料もドブに捨ててしまうことになる。これ以上不良債権は増やしたくない。ブログに書く日記・近況報告以外の活動をセーブして、夕食後の自由時間はほぼ簿記の問題を解いている。

寝る直前まで頭をフル回転しているせいか、睡眠の質が落ちている。受験生に「朝勉強」を勧める理由がよくわかる。かといって、日の出前のクソ寒い時間に起きて活動できるかと言ったら、そうでもなく。冬期でも朝から活発に活動できるほど血圧は高くない。

ならば血圧を上げる(主に運動)行動をすればよいではないかと思うのだが、生活リズム含め改善される頃には受験も冬も終わってしまうわけで。ならば、6月の簿記検定(2級受験予定)と、来期のために習慣化すればよいではないかと思い始めるが、変えるきっかけを日和見しているのが現実である。

凡人にありがちな、「そのうちな」である。

勉強を優先するという制限の中で暮らしていると、脳が現実逃避をするのか、それとも普段使わない脳の回路が開くのか、目的以外のアイディアや思い付きがフィーバーする。ジャンジャンバリバリ出てくる行動欲求に対し、ストレスを感じていては自滅につながってしまう。そんな失敗は二度と繰り返すものかと、後の楽しみにとっておくスキルを発動させる。

付箋にひとつひとつメモをして、手帳に張り付ける。晴れて自由の身になったときには、その大半がゴミと化するかもしれないが、ゴミの中から別の芽が生まれる可能性もあることを知っている。侮るなかれゴミの山。

ここ数年しばらくアナログ手帳をやめ、デジタル化していたけれど、結局アナログに戻した。もとに戻したというよりは、日記と手帳を一体化させることをやめ、日記をデジタルのままにし、手帳だけをアナログに戻したことになる。理由は、ほぼ家にいること、iPhoneで手帳に記入・確認しようとすると、別のアプリを開いてしまうからだ。それともうひとつ、大きな理由がある。手で書く行為そのものが、脳のスイッチになるという脳科学者の言葉を体感したからである。

最初は手を動かせば、何も紙とペンでなくてもキーボードで文字を打てばいいではないかと思っていた。ところが、わたしの脳の特性はビジュアル思考だということに気づく。つまり文章ではなく、図形やイラストが浮かび、補足的に短い文章を付け加えた方が、表現しやすく、また見返した時も理解するまでの時間が断然短いのだ。

結局、日記はデジタルで文章を残し、言語化のトレーニング、TODOや企画・計画はアナログでアウト&インプットの時短を図ることにしたわけだ。

その書き溜めたアイディアはいずれゴミになることはわかっている。付箋やノートを切り貼りして必要なものを残し、ほかは処分する行為もまた脳内整理につながる。そして、捨てる快感にもつながるのである。

ひとまず、6月までは「Action」は控えるという制限を設けたが、半年でどれだけのアイディアとゴミが生まれるか楽しみである。そして、サマータイム導入の夏、どれだけ自分が発展できるのか想像することが今の生活のモチベーションである。

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