Watana Bear's Life Makeovers

空の写真 と 脳内排出 ときどき しあわせ練習帖

なんでも楽しければそれでオッケーでいいのだ

f:id:clara-stoopman:20220127075049j:plain

故郷の持ち家が汚家だったころの夢を見た。夫と母と3人で片づけている。家そのものは実在する家そのものだったけれど、家の中にあるものは見知らぬものだった。定点カメラで撮影していた動画を確認すると、亡くなった祖父や不思議な現象が移りこんでおり、夢の中の自分は心霊現象とは思っていない。その夢を見ている私も然り。残念ながら人間は、世の中の超常現象を解明できるほどのスペックを、まだ持ち合わせていないだけのことなのだ。心霊現象とは、心が見ているだけのことだ。

ならば、夢の中で祖父を見た私の心は何を見ようとしていたのか。祖父の記憶を思い返してみる。亡くなってから知った、実は祖母大好き人間で嫉妬深かったこと。小学校低学年の頃、初めて一人でバスに乗って祖父の家に遊びに行ったとき、褒められているのに私には叱られていると思って泣いたこと。大工を引退した後、酒は体に悪いからと言いながら禁酒ではなく、ワインは体にいい言訳して酒を呑み続けているのを見てアホだと思っていたこと。職人気質ゆえなのか、老いてもなお拘りを持ち続けていることに、ちょっとカッコイイなと思いながら切なかったこと。水墨画や彫刻やら謎にクリエイティブな趣味を始めたけれど、たいした作品ではないと密かにに思っていたこと。

あぁ、これか。祖父自身が自分の作品を「大した作品ではない」と思っていたのかどうかは不明だが、楽しんで作っては人に贈っていたことを思い出す。私も、同じ血が通っていることを思い出した。大したイラストではないのだが、練習だからと言っては葉書に印刷して数少ない友人に送りつける。大した出来栄えでもないのに、作った雑貨をお世話になった人々に贈る。ものによっては「売ればいいのに」と言われることもあったが、売ればいいのにと思ってくれるほどの作品を作り続けるまで、スキルを磨くスキルを持ち合わせていなかった。

祖父は大した作品は残さなかったけれど、楽しんでいたことだけはわかる。今ではうらやましいとさえ思う。わたしは、スキルを磨くスキルがないのではない、楽しむスキルがないのではないか。今からでも、楽しむスキルだけでも磨いておこうと思った。何かを生み出すことを楽しむ。評価を求めてばかりでは楽しめないけれど、評価を求めること自体を楽しむことは出来る。スキルを上げる努力はするけれど、結果に執着はしないという意味で。楽しもう。楽しんでいることを蔑む人がいるならば、それはその人が楽しめないだけで楽しんでいる人を妬んでいるだけのことである。蔑む以上にひどいことを言われたら?そんなの発信した人を憐れんでそっとしておけばいい。誹謗中傷の本質は、発信した本人の屈辱や無念でしかないのだから。自分のことをどうにもできないから、他人に期待をしているだけの残念な人なのだから。

楽しもう!と意気揚々とした朝、平日がもう1日あると気づいて愕然とする。

そんな自分を俯瞰で見て楽しむこともまた、楽しむためのスキルのひとつなのだと気づく。明日が休日と勘違いしていた自分が可笑しく思えるようになる、しあわせなスキルだ。

(1271)