立春が過ぎたからといってすぐに春がやってくるわけではない
昨日の朝から、今日の朝はまったり過ごして溜まった疲れを癒そうと思っていたので、目覚めた後もすぐに起床はせずに、タオルケットやぬいぐるみのモフモフ感を堪能したり、読者登録しているブログの記事を読んだりした。
ニュースサイトまで一通り巡回すると、気持ちが動き始める。
太陽はすっかり南に向かって駆け上っており、雲一つない青空を見ているのが、なんだか恥ずかしいとさえ思えた。
宣材写真を撮り直しに出かける息子に、もうやんカレーが25周年キャンペンをやっていることを知らせる。———「えぇやん」——— 関西人でもない、ましてや東京人でもないゴリゴリの東北人の息子が、関西弁で返事をする。撮影場所は西新宿だというので、終わったら合流して向かうことにした。
今日はお昼抜き(プチ断食)にして、夜は健康的なもうやんカレーで胃袋をリセットしよう。
何かひとつ、目標や目的のようなものができると、芋づる式に行動力が発動し始める。「やる気スイッチ、君のはどこにあるんだろう・・・」そんな歌が昔テレビで流れていたが、案外スイッチはどこにでも転がっているものである。結局、スイッチを押すためのスイッチを、目覚めたときに押せるかどうかなのだから、タマゴニワトリ戦争に発展することになる。
疲れが抜けない理由のひとつに、簿記の勉強で脳をフル回転させていることがあるが、ここ2~3日のグロッキー加減が他にもあることを自覚している。夕食後の散歩である。しかも、散歩で調達してくる500mLの缶酎ハイを、簿記の勉強後のご褒美に呑んでいるのだ。懲りないヤツである。
昨日、散歩に出かけるときに叫んだ。「散歩が酒を買いに行くための目的手段になり始めている!」完全にアル中軍に入隊しかけている。そんなわたしに息子が声をかける。「えぇやん、なんの目的もなくただ酒を呑むより、散歩に行かなければ酒は呑めない状態になってるんだから」——かけられた言葉が、すでにアル中患者の家族の言葉である。まるで、どっぷりつかった中毒患者が、酒から抜け出す時の回復期にいるような錯覚になる。
結局、寝る直前に胃袋に酒を入れるものだから、胃は休まることなく分解されずに若干アルコールが残っている状態で、目覚めが悪いのである。
何かこのトリガーを変えるきっかけはないものか。禁酒や断酒といったそんな安直なことではなく、寝る直前に酒を呑む習慣にしたくないということである。
わかっている。勉強時間を朝に持ってくればすべてが解決することを。
春だし、朝勉強に切り替えようかと一瞬頭をよぎるものの、それでは根本的な解決にはならない。冬に、早起きができないことへの努力はもうしない。しかし1年通して、生活の流れを固定化する」戦略は変えたくない。勉強時間はどこで確保する?ここちよい夜の過ごし方は?もう、冬だけはアル中軍に入隊でオッケーですか?!誰に許しを得ようとしているのか、モノローグも聞いてあきれるヒトリゴト。
きっと、冬と夜の時間の過ごし方が、すべてを手にする鍵なのだ。
つまり「陰」を制するものこそが、人生の勝者となりうるのだ。ならば、陰陽のバランスをどこでどうとるのか。
陰と陽、オンとオフ。明と暗。いろんな対極があるけれど、その切り替えのスイッチこそが、やる気スイッチだ。では、そのスイッチはどこにあるのかという話に戻ってしまう。
今日はきっと堂々巡り。
朝と夜の境界がないように、自然界には「スイッチ」はないのではないか。昨日の立春とてそうである。春が来ましたよと人間はいうものの、自然は芽吹く温かさまですぐに温度を上げてはくれない。
結局、このまま気が向いたら徐々にはじめ、気持ちが途切れたら終えるでよいのではないかという、身もふたもない結論にたどり着こうとしている。こんな私の人生は、きっとこの先も、前と後ろ、上と下を行き来しながらのらりくらりと生きていくのだろう。
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