Watana Bear's Life Makeovers

空の写真 と 脳内排出 ときどき しあわせ練習帖

没頭力が重要なのは大人も子どもも同じ

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簿記検定試験日まであと1週間のため、3連休は短期集中講座と称して勉強三昧である。気分転換に5分10分家事はするものの、1時間の散歩を除けばほぼ勉強である。教教科書を読むのも3~4巡目。問題集は間違えたところに付箋を貼っているけれど、未だに付箋がなくならない。

学生時代、こんなに勉強しただろうか。大なり小なりの試験を振り返ってみても、こんなにも1日中勉強だけをした記憶がないような気がする。テレビもしくは音楽をかけながらの勉強、時にだれかと長電話して、時に雑誌を読み、時にピアノやベースを弾き、時に絵を描き、時に・・・がメインで勉強が息抜きのような生活だった気がする。

「無音の中で、動画を見るのは簿記講座のみ」こんなにストイックになってもなお、習得している感覚がないのは脳の老化なのだろうか、それとも真剣に習得しようという思いからくる焦りなのだろうか。

3か月前は、心のどこかで「たかが簿記3級」と思っていたけれど、結構難易度高いかもと思った時は受験日まであと1か月、すでに時遅しである。計画を立て、学習を始めたのは11/27からである。85日の計画日数のうち、42日を無駄にしている。しかも教科書1巡目は動画の先生の声、訛り、動画なのにホワイトボードに書くことが気になって集中できず、内容が入ってこないうえに「ほぼ船を漕いでいた」。

結果、模試を何度こなしても合格点には程遠く、残り2週間というところでエンジンがかかる。しかもターボ付きエンジンである。「わかると楽しい」なんて、学習塾や通信講座のCMみたいなフレーズを発してしまうほど、突っ走っていた。残業で疲れようが酒を呑みたくなろうが、優先順位が「簿記」に変わっていた。

ここまで没頭できるようになったのは、きっと環境がシンプルになったからだと思った。余計なものは何もない。テレビはあるけれどほぼPCのモニター用なので、ワゴンに載せられ部屋の片隅に待機しているだけである。本はiPadの中にすべてあるので目に入らない。LINEで事足りる上に、時間を意味なく共有するような関係の人はもういない。音楽も、気になる環境音をシャットダウンする時ぐらいにしかかけないようになった。ブログを書きたいと思うことが時々あるけれど、試験が終わってから書こうと小さな付箋にメモする程度で収まっている。

教科書と問題集と文具だけ籠に入れ、手帳の「簿記学習の計画」ページを開きっぱなしにする。こんなにも日々「簿記」と向き合うことに対して、苦になるどころか楽しむことに快感を覚え始めたりしている。

「趣味もここまでストイックに向き合えば楽しめるのでは?」

いや、簿記の場合は試験日という「期日」と合格という「結果」があるから向かえるのであってだな・・・。

「ならば、自分で期日と結果を設ければいいのでは?」

そうだな。趣味が挑戦に変わったら楽しめなくなると思っていたけれど、簿記でさえ楽しいと思えるぐらいなのだから、なんでも「没頭」したら楽しめる気がしてきた。

好奇心フル稼働だった若いころのあれもこれもは卒業し、生活に必要な最低限ものと、没頭するものだけを携えて、これからは生きていこう。

6月の簿記2級検定が終わったら、荷物をトランクひとつにまとめて、旅するように生きていこう。

没頭力が必要なのは、子どもだけではないのである。人生の折り返し地点世代こそ、没頭力を身に着けるべきであり、それがしあわせに長生きする秘訣だと思うわけで。

幼児教育を学んでいながら別の教育関係の業務につくことになった時、恩師にいただいた言葉「教育は子どもも、おとなも同じなのよ」が、ようやく身に染みる年ごろになった。

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親愛なるマリア・モンテッソーリ。学んだことを無駄にしてきた人生だと思っていたけれど、けして無駄ではなかったとようやく思えるようになりました。そして、人間の一生がある時期を境に折り返すものならば、発達段階も折り返すようになぞっていくことで、多角的に見た発達の遅速を均すことができるのではないだろうかと思い始めています。

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