シロクマのしあわせ練習帖

朝空写真と脳内排出、ときどき夜空

#03「自分と向き合うための予定を入れる」

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自分の生活にかけているもの、それは「自分自身」なのかもしれない。

毎日流されて生活していると、うっかり自分のやりたいことさえ見失いそうになったり、やりたい・やろう!と決めたことができなかったりと、日常に自分が埋もれていく感覚に陥ってしまう。

日々の暮らしを優先するあまり、家事や仕事に追われてしまうのは、きっとよくあることなのだ。夢や目標があったとしても、日常生活を優先してしまうことで、かなえる日は遠くなるばかり。

夢や目標がなくても、自分にとって何が楽しいのかわからなくなるのがオチである。世の中には、趣味を持たない人が半数を占めているとのことだ。多くの人が趣味がなくても生きているのか、と安心するのは日本人の悪い癖。その半数の多くの人がなんらかの精神疾患を患っていると知れば、無理にでも趣味探しをしてしまいたくなるだろう。

楽しいという感覚を持てなくて、とりあえず映画やテレビ、漫画に夢中になったりする。受動的に感情を一時的に動かしたところで、しばらくするとまた元の虚無感が襲い掛かる。そしてまた面白そうな作品を探して見始めてしまう。

当然、得られるものもあるだろう。だが、能動的に楽しんでいるわけではないので、そこに「自分自身」はないのである。

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先週、一冊の本をもって散歩に出かけた。散歩に1時間、読書に1時間と時間を決めて出向いた。30分歩いたところで休憩がてら大好きなチャイティーを野民殻本を読む。1時間のタイマーをかけて読み始める。1時間しかないと思うと、読むスピードも集中力も上がるから不思議だ。残念ながら一冊読み終えること葉できなかったけれど、また来週、チャイティーを飲みながら読みに来ようと思うと愉しみが増える。

こんな風に、制限を自分で決めることで、能動的な感覚が楽しみを倍増させることを知った。

そして散歩である。ぼんやり景色を眺める散歩もよいが、30分で目的地に着かなければならないと決めると自然と歩く速度が速まる。歩くことに集中していると、自然と意識は自分の中に向いてくる。

歩禅という言葉がある。歩きながら無になる行為のことだ。この日感じたのは、無というよりも脳内整理に近かった。アサソラ日記が脳内排出ならば、散歩は脳内整理に近い。

こうして時間制限を設け、好きなものを組み合わせることで自分自身を取り戻す感覚がえられるのならば、この有意義な2時間を毎週1回は確保したいと思った。

自分のために、自分と向き合うための予定を入れる。平日は無理だから、休日どこかで往復1時間で行ける範囲で、好きなこと・興味のあることを1時間だけするようスケジュール帳に予定を入れる。やってみて楽しくなければ次回はやめればいい。興味のあることを探すこともまた能動的に自分と向き合う行為にもなる。

自分の生活に「自分自身」を取り戻す方法。

日記を書くことも大事だけれども、それ以外にも自分自身と向き合うための方法はあるのだ。

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