空は私にとって相談役のような存在だということを知った
朝起きてツイッターに朝空日記を上げたあと、いつものように洗濯機のスイッチを入れにいく。目についた乱雑な部分にちょっと手をつけ、あとはコップ一杯の水と共にインターネットの海を泳ぐ。
ふと時間が流れることが気にかかり、朝のこのゆるい時間に制限をかけてはどうかと一瞬思ったのだが、気ままに生きると決めた自分が「タイマーのある暮らしは自分を縛り付けることになっただろう?」と苦言を飛ばす。
そうだ、自由に生きるということは、自分に制限をかけないということである。
ある程度のルールは決めたら、あとは自由にどうぞ。
今の会社のスタイルもそうだったりするから、長く入れるのだ。就業規則さえ守って結果さえ出してくれたらそれでいいからみたいな空気。「普通さー」なんていうお局やクソ上司もいない。
ひとまずコップ一杯の水を飲み終えたので、次の行動に移ろうとはてなブログを開く。いつもはあまりトピックを気にせず自分のダッシュボードをクリックするのだが、今日は何やら引っかかった。
へぇ、リトルプレスパックかぁと覗きに行った。以前、別のブログサービスで絵日記を終えるときに一冊ブログ本を作成して記念に残していたのだが、このサービスは「販売を目的としたサービス」であり、最低ロットが決まっていた。
むむ、なるほど売れとな。
自分の吐き出す活字は人様に需要があるのか?という疑問と別に、日記ってなんだっけ?という初心に帰るような疑問が湧き出た。
以前自分が書いた記事をも読んでみる。
コンスタントに脳内排出していた時の自分に「へぇ」と感心してしまった自分がここにいる。
数ヶ月ぶりに書くことを復活した今の自分がしたことといえば、グーグル先生に「日記とは」「エッセイとは」「随筆と随想の違い」と聞くことだった。
ほらね、アウトプットを日常」にしていないとすぐ答えを求めてしまう。自分で考えろよ。
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奇しくも、本日シモキタのあの日記の聖地でイベントが行われるらしい。行ってみたいと思ったけれど、引っ越してすっかりデブ症、いや出不精になってしまった今となっては行き方と所要時間を検索するハードルが大きすぎた。
どれどれ、今の私にできることはないかと記事を読み漁っていると「純日記」というはてなグループができていることをしる。今日はここに参加することで精一杯。
本日は第2回日記祭なのだから、きっと次回は第3回日記祭。そんな当たり前のことを自分に言い聞かせて、次回行こうと心に決めた。
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ふと目に止まった日記ブログを読んでみると、自分が昔やっていたことと同じことをしている人がいて嬉しくなりクリックしてみた。見ればみるほど似ている。パクリか?と思った瞬間、自意識過剰で自惚れた自分が肩越しに笑う。
うっかりやめてしまった自分を悔やむ感情が出てきたものの、やめた理由を探し始めていた。やめる際もやめる時の気持ちを残しておくべきだった。そうしたら自分のブログを検索すればいいのだから。やっと次のステップに進むためにやめたことを思い出す。その瞬間、自意識過剰な自分はふっと消え、昔の自分を懐かしむあったかい感情の温もりを感じることができた。
あぁ、やっぱり人間って他人を通して自分を知ることができるのだな。
家の中に引きこもっていないで、外に出て人に会わなければ。オンでもオフでも。そう思いながら、空を見上げる。太陽は雲に隠れたままだった。人見知りな空と好きな作家さんはそう表現していたけれど、今日の太陽はなんだか私に似て出不精だ。
太陽も出不精なら、私も出不精でいいじゃないか。そう思うことにして「今日の行動計画」を手帳に書き出そう。
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