「ただそれだけ」という生き方
2023年初の空日記となる。朝時間が取れなくなった理由はたくさんあるのだけれど、総じて言うならば生活リズムを崩してしまったこと。睡眠のリズムの乱れが引き金となって、ずるずるといろんなところに皺寄せがいった。結果、朝起きる時間が遅くなっていた。
正月休みを利用して整え直そうと思い、なんなら生活リズムやルーティンを全て見直してみようと、昨日朝家事の所要時間を計測してみた。結果、朝空日記をTwitterにアップして、家事や身支度をしてから30分間この日記を書くとなると、起床時間は最低でも6時半には起きなければならないことになる。ということで、アラームなしの生活をしていたけれど、定着するまではしばらく6時にセットすることにしよう。
おそらく、夜の寝る時間が一定になれば、またアラームなしで大体5時から6時に目が覚める生活に戻るだろう。
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1年の計は元旦にあり、とよくいうけれど、今年は1年の計画を立てなかった。ざくりとした目標はあるものの、それは人生のゴールのようなもので、今年の目標ではないからだ。自己啓発本的にいうならば、その目標を細分化して行動計画とか節目節目にゴール設定をして・・・なのだろうけれども、そんな人生にもう疲れた。
これからは自由に生きると決めたのだから、ゴールを一箇所に決めたなら、あとはいつ、どこを、どのようにして通過するのかはその時の自分の感覚を信じて進もうと思ったのである。
自分を信じると書いて、自信。言葉というのはすごいなと思う。占いや迷信は参考にするのは良いけれど、信じたり依存したりするのは何かが違うわけで。ようやく、その感覚から抜け出せたように思う。毎日の占いをチェックするよりも、空を眺めてふっと浮かんだことを指針にして暮らす。ただそれだけのこと。
宗教というのもまた、何かしっくりこないわけで。私にとって、世界各国にいるいろんな神様の中から、どの神様を尊敬し崇め、教えを守るのかなどと調べたりするのは時間の無駄である。これもまたご縁なのだろう。出会った人の存在や生き方、発した言葉に感銘を受ける。もはや私の中での神様とは、芸能人やアイドルと同じ表現となる「神」なのである。あなたはどの神を心の拠り所にし、推していますか?松潤を神にするのも、素戔嗚尊を神にするのも、それはその人にとっての神なのだから、それはそれでいいと思う。
心の拠り所にする存在が「神」だとするならば、私は空を通して得た自分の感覚を「神」と表現する。ただそれだけのこと。
あるがままを受け入れるという感覚は、こんなカンジなのだろうと気づいた。
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