Watana Bear's Life Makeovers

空の写真 と 脳内排出 ときどき しあわせ練習帖

定期的に解毒や浄化をすると、リフレッシュされる

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一昨日、先日誕生日を寿司とカラオケで祝った息子の相方と、その翌日が誕生日だという息子の同期が泊りに来るというので、恒例のバースデーケーキを購入しにいった。いったついでに老眼鏡を仕立てに行くことにした。

昨年、視力の低下と共に所持していた3本のうち1本を遠近両用に変えた。その近視用2本のうち1本を老眼鏡専用にしてもらおうと思ったのだ。外出用に近視のみ、出社用に遠近両用、そして在宅ワーク用に老眼鏡という3本それぞれに役割を与え、うまいこと適材適所となる。

測定を終え、出来上がりまでの間に食事を済ませるつもりだったが、平日ということもあり思いのほか早く仕上がるという。注文してから配膳されるまで時間が短いお店を選ぼうと思ったが、決められない。もういちどフロアをぐるりと回る。入りたいと思う店は待っているお客さんが多く、すぐは入れるお店の中から選ぼうと思うのだが、やはり決められない。フロアを3周したところで仕上がり迄のこり10分となってしまった。

決断力が鈍っている。結局1フロアごとに各店舗を偵察しながら眼鏡ショップのあるフロアへ向かったところで、品物受け渡し準備完了のLINEが入る。

入店すると持っていた受け渡し表に気が付いた店員が声をかける。カウンターの女性に引き継ぐとすぐさま呼ばれる。「お手元用のレンズに変更ですね」。老眼鏡と言わないところが憎いと感じた。先に精算は済ませているので、受け渡しにはそんなに時間はかからなかった。

このまま帰宅して、自宅で残り物を食することが悔しくなり、小田急の地下でお惣菜をチョイスする。いつもは海老チリかエビフライを購入するのだが、この日は「肉」に目が行った。

脂が程よく乗った肉の塊に骨が付いたスペアリブ。どういう精神状態が作用しているのかわからないが、わたしの脳内でワンピースのルフィーのように叫び声が響いた。「肉くいてーっ!肉だー!肉くれー!」。

久しく肉と言えば鶏肉がメインで、たまに白菜たっぷりの中に脇役よろしく豚バラが挟み込まれたミルフィーユ鍋しか食してこなかったわたしである。鼻息荒い青年男子が食すような骨付き肉を食して、胃腸機能は追いつくのだろうかと思う理性的な自分と、今まで食してこなかったのだから、たまにはよいではないかと思う欲望むき出しの自分とが戦う。

ここでもフロア一周することになったのだが、結局決めることができなかった。

スペアリブの前で叫び声がリフレイン。足を止めると「お決まりでしたらどうぞ」と決めきれない私に向かって営業トークを仕掛ける店員。その声の陰に「お前さっきもここで立ち止まって悩んでいただろ?さっさと決めろや、このくそ忙しいときに迷うなよ」といった感情が隠れているように思えたのは、完全に被害妄想なのかもしれないが、自分の中で前向きな諦めが生じて注文することになった。

生ハムのマリネとスペアリブをください。

スペアリブは1本入りと4本入りのパックしかなく、なぜ2本入りがないのか疑問でしかなかったのだが、もう考える余裕はなかった。今日はルフィーモードなので、4本入りを指さす。2本や3本と言えば、一本入りのパックをそれぞれの個数に合わせて取り出したのだろうが、帰宅後にわざわざ1パックごと開けて皿に盛りつける自分を想像しただけで、雰囲気的にも作業的にも耐えられないほど煩わしかったのだ。

肉には赤系を合わせたいと思い、300mlの瓶入りサングリアを一本調達して帰宅。

息子たちは外で食べてくるというので、ひとりでむさぼるように食べた。遅くに息子たちが帰宅し、ケーキを4等分して食したが、それが仇となったかはわからないが、床についてからしばらく、胃に不快感を感じ始めていた。

朝型、目が覚めると同時に腹部の不快感に速攻起床し、トイレへ向かう。久々にお腹を壊した。前夜敗北した「理性的な自分」がほら見たことかと嘲笑う。酒はサングリアのほかに缶チューハイを3本追加。そっちか?原因を探ったところで、結果は変わらない。やめよう。今後のことを考えよう。気持ちと身体の欲求が乖離し始めていることの方が問題なのだ。

早朝出かけた息子たちを見送った後、思う存分体を休めた。気持ちが焦るが寝ながらできるコトを探してしまう。ここでもまた二人の自分が戦う。体を休めたい自分と何もせずにいることに焦る自分。焦る心を休めることができずに、iPadiPhoneのホーム画面を断捨離した。ウィジェットを多用し、アプリを開かなくても大体の情報が得られるようにしておけば、目的以外のアプリを開かずに済み、寄り道無駄時間が減ると思ったからだ。

一日中ベッドにいると、ベッドサイドのゴチャ付きも気になった。ついでに、レースのカーテンを開けっぱなしで寝られるように、枕の位置を変えたくなり風水で枕の方角を調べる。わたしの中でゴーサインが出て行動に移し始めたころには、お腹の不快感はすっかりなくなり部屋も真っ暗な状態になっていた。ものが少ないこともあり、数分で終わった。この日の断捨離効果は棚ひとつが不要となったことである。体を休ませると決めたはずの1日の終わりに、結局断捨離をしてしまう自分が可笑しく思える。

朝から口にしたのは水だけだったことと、若干頭と体を使ったことにより空腹感を感じ始めた。お粥でも作ろうと思っていたのだが、購入しておいた生蕎麦が無駄になるのはいやだと思い、月見そばを作る。暖かいお出汁と黄身と絡むお蕎麦が、空っぽになった胃にしみこむ。やっぱりわたしは蕎麦が好き、と思えるひとときだった。

少しだけ新しい環境の中で目覚めた朝は、少しだけ快適ともいえる。肉が欲しかった自分も、体を休めた自分も、心の赴くままに断捨離を始めた自分も、すべての自分がいとおしく思えるようになったのは、お腹の中が空っぽになったからなのだろうか。心も体もすっきりとしているのは、きっと気のせいではないはずだ。

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