シロクマのしあわせ練習帖

朝空写真と脳内排出、ときどき夜空

ゆとり

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警戒されたほどの積雪はなく、肩透かしを食らった週末から一夜明け、週明けにかけてまたもや大雪への警戒がアナウンスされている。コロナに関してもそうだが、都民は一度肩透かしを食らうと「オオカミ少年扱い」する風習がある。木曜日を出社禁止にした手前、月曜日もというわけにはいかず、業務が回らない等を理由に警戒を無視して通常業務になるのではないだろうか。そして、案外二度目の時の方が本番だったりするのではないのかと深読みしてしまう。

防災に関しては「はずれてよかったね」ぐらいの余裕を持ちたいものだが、いつから気象庁はこんなにも「予報以上」の立ち位置になったのだろうか。天気予報は卜占と肩を並べて「外れてなんぼ」が代名詞だったはずだ。

交通機関を混乱させたのは、警報が出たからと思われ、これがたんなる「雪の予報」だったらどうだったのだろう。降る前から運休を出しただろうか。雪に備えのない地域だからこそ、交通機関で働く人を守るためにそうせざるを得なかったのであれば、それはそれでよいのだが。

極論を言ってしまえば、これをきっかけに、日本も「あてにされない公共機関」に変わっていけばよいのにと思ったのである。

なぜ日本はこんなにも「責任」や「正義」を重んじる国民性なのだろうかと、うんざりすることがある。侍の国だったから?命捧げますの国だったから?その血や風習が残っているからなのだろうか。1分1秒遅れただけで利用客は舌打ちをし、運航業務につくものはストレスとプレッシャーを抱える。交通機関に限らず、期限を守ることに必死なサラリーマンもストレスを抱え、限界がきた者の中には、電車の運行の妨げになるようなことを引き起こす人も現れる。結果、舌打ちをせざるを得ない人が増える。負の連鎖とも言いかねないこの状態で、何が正義だ責任だ。そもそも、舌打ちをする人とて、感覚がマヒしていることを自覚するべきだ。

「正義」を振りかざして誰かのことをとやかく言うことも、そして「正義」を振りかざしてとやかく言う人へとやかく言うことも、「自由」を武器に過剰な時代になったと感じる。誹謗中傷、批判、最近のニュースや記事は「表現の自由」「報道の自由」を逆手に取っており、見るに堪えられない情報ばかりだ。まるで正義を振りかざしたクラスメイトが「●●君が〇〇ちゃんの教科書にラクガキをしていました」と学活で発言し「いじめ反対」「セクハラ反対」と主義主張を訴えることによる逆いじめ、逆セクハラのようなものではないか。それを模倣した素人もまた、見るに堪えない状態でSNS各方面で湧いている。

メンドクサイ時代になったものだが、メンドクサイ時代を作ってきたのもまた人である。そのことを自覚して愚痴をこぼさなければならないわけで。

「責任」「正義」を振りかざす中、身を守る方法として「コンプライアンス」が重視され、こざかしい者はそれを逆手に取ってまた権力を振りかざす。なんのためにこんな風になってしまったのか。

日本にものんびりした時代があったはずなのに、それはいったいいつのことだったんだろう。今じゃもう、しあわせを感じる余裕すらないではないか。

今週のお題「復活してほしいもの」

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