シロクマのしあわせ練習帖

朝空写真と脳内排出、ときどき夜空

書き続けよう、あなたの人生の物語

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三連休初日の昨日、シモキタに行った。正確には代田。下北沢駅と代田駅の間(ほぼ代田寄り)にあるBONUS TRACKに向かった。下北沢駅には何度か足を運んだことがあるが、代田駅は初めてだった。下北沢駅は年齢層が低めというか、カオスな雰囲気が残る中、代田駅は圧倒的に洗練された大人の雰囲気だった。

新宿や渋谷のカオス慣れしているせいか、どくとくな大人の雰囲気に緊張する。

目的のショップは日記屋 月日|日記の専門店。小説でも自伝でもなく、ましてやエッセイでもない日記。このアサソラ日記を始めてから、しらない誰かの日記を読むことが楽しくなっている。

日記というジャンルが文学になりえているのかどうか、専門的なことはわからない。でも、人との距離感を意識して生活し、孤独に打ちのめされそうになるような時代に、誰かの生活を垣間見てはいろんなことを吸収することができる日記は、感動するストーリーとはちょっと違う役割を担ってくれているような気がする。

昨日金欠春の陣が開幕したばかりなので、本は買わないと決めて向かった。不思議と日記というものは、小説やエッセイと違い、買っておきたい!という欲望が湧いてこないものだと思った。手にする基準は「日記を書いている人に興味がある」「日記のタイトルやテーマに興味がある」のどちらかになるわけだが、話の着地点がわからないうちは過ぎ去った日々を手元に置いておきたいとは思わなかったのである。

そういった意味では、日記を商品化するならば、断然サブスク向きだなと思った。日記はそういった意味では美術作品に似ているのかもしれない。作者の人生が完結しないと価値が出ない。完結とは死だけでなく、何らかの結果を出すという意味でもある。時代を超えて書籍化される日記は、やはりその日記に着地点があるものばかりだ。ある意味、時空を超えたファンタジーのようなものである。

日記の醍醐味は、やはり書き続けることにあると実感して帰宅。

こうして細々と、脳内整理のために思考や感情を排出し、自分の中の着地点を探し、ネット上に転がっている知らない人が着地点を探している様子を見て、共感し、時には助けられ、孤独の穴を埋める。

毎朝日記を書き続けて2か月になろうとしている。

ようやくわかってきた。自分の中にあるものをすべて吐き出してみるからこそ見えてくる世界。自分が無意識に求めていること、不安に思っていること、すべてひっくるめて受け入れたときに、世界は自分のためにあったのだという実感を覚える。

誰かの意見は誰かの意見、他人の思いは他人の思い、決して無関心というわけではなく、異質なものは異質であると受け入れること、同質なものは同質であると受け入れること。ただ、それだけのことなのだ。

出来事に一喜一憂し、感情をむき出しにする必要はない。好き嫌いに振り分けるだけで、余計なエネルギーを消耗する必要はないのである。

自分の好き嫌いがわからなくなった時、他人の好き嫌いに惑わされそうになったとき、自分の日記を読み返してみることで、自分の中の軸が保たれる。前に人生はゲームのようだと日記に書いたが、もし本当にそうなのならば、日記はそのゲームの攻略本のようなものなのだろう。

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