シロクマのしあわせ練習帖

朝空写真と脳内排出、ときどき夜空

五感の大切さを知る

f:id:clara-stoopman:20220413075340j:plain

変化に弱いわたしは、先週強制的に生活環境を一変することになったため、自分の生活を取り戻すのに時間がかかっている。修行も中断している始末。そろそろ折り合いつけて自分を優先する生活に戻りたいところである。

ノイズキャンセリングのイヤホンを二日ほど利用して実感したことは、まず「五感」の大切さだった。

家電ショップの店員さんに勧められたその機能は素晴らしく、ほぼ無音状態になる。お気に入りの音楽を高音質で聴くことはそれはそれで楽しいのだが、せっかく窓を開けて心地よい風を感じ、街の音や通りを歩く人の会話、鳥の声を楽しむ季節になったというのに、それを楽しめないのは残念である。

不快に感じているのは、天井から響く歩行音、フローリングに直接掃除機をかけたり、ミニカーを転がして伝わる摩擦音、押し入れや扉、家具の引き出しの開け閉めに伴う摩擦音。つまり、天井から伝わって響く振動音である。

マットを敷いてくれたと思われ、前ほどダイレクトに響き渡ることはなくなったものの、それでも音そのものは消えないので、ストレス耐性が低くなっている今、一瞬で終わらない音にはやはりうんざりしてしまうことになる。

それをかき消すために、イヤホンを付けるわけなのだが、うんざりから気を紛らわすことは出来ても、環境音すべてを消し去り、音楽と自分の口腔内の音だけが聞こえるという状況が続くと、実に味気なく感じてしまうのである。

こうしてタイピングしながらも、そのタイピング音は耳に入ってこない。音フェチの私にとって、タイピング音もまた心地よい音を楽しむ素材のひとつだったわけで。イヤホンを外した時に、一気に自然や環境音が耳に入ってきたときに「聴覚」が喜び一気に踊りだす感覚が、聞こえない時間をより空しく感じさせるのである。

***

コロナ感染の後遺症で嗅覚・味覚を奪われた時にも感じたことだった。それまでおいしく好んで食べていたものの味が、まったく感じない、もしくは変な感じ方に変わってしまう。臭いも然り。

記憶だけがまだ「おいしさ」を求めて、定期的にチャレンジするも以前のようには感じない。美味しい記憶そのままで食べることができる食材に出会った時、うれしさのあまりに涙がこぼれてしまったほどである。

あれからもう少しで同じ季節がやってくる。それでもまだ、心地よく感じていた嗅覚と味覚の記憶とのギャップに苦しみ食事を心から楽しめない生活を送っている。人間がこんなにも「心地よい」を求める生き物だったとは。その機能の高さに驚きである。

視覚・嗅覚・味覚・聴覚・触覚。

当たり前に感じていることの大切さを知るためには、こうした障害を受けなければいけないほど、人間というのはなんと愚かなものだろう。無力さを自覚し、当たり前のことに感謝して生きていこう。

(1142)